こんにちは、きっかわです。この記事では現役大学職員が、GPAについて説明します。
GPAとはgrade point averageの略称です。履修した授業科目の成績評価を所定の点数(Grade Point)にして、1単位あたりの平均値を表したものです。GPA制度は、アメリカなどの大学で一般的に行われている世界標準的な成績評価方法で、日本でも多くの大学で導入されています。2000年代に大学生だった方は、聞いたことがあるのではないかなと思います。
GPA制度の導入により、成績の全体的な状況が数値として単純化されて示されます。学習の成果・到達度を確認しやすくなるという売り込みのもと、全大学の9割以上が導入しています。効果としては以下の点が期待されています。
1.学生の学修指導(学生本人向け、教員向け)
2.高等教育の修学支援制度支援対象要件にかかる基準
3.大学個別の奨学制度の適用継続にかかわる判定
4.履修する学生の人数を制限する授業科目等における学生の選考
5.世界標準的な成績評価方法のため、留学の際などに学力を計る指標となる
GPは評価(評点)区分ごとに次のとおり設定しているところが多いです。
秀(100~90点) :4GP 優(89~80点) :3GP 良(79~70点) :2GP 可(69~60点) :1GP
不可(60点未満) :0GP
これを単位数で掛け算して、最後に全単位数で割れば、GPAが出ます。各大学のHPに算出方法が掲載されていますので、興味がある方は確認してみてください。
さて、このGPA制度、そもそもなぜ導入されたのでしょうか。従来から優とか良とかの評価制度はあったはずで、それで不十分だったのでしょうか。
文部科学省としては、「優・良・可」の成績開示だけでは不十分だったという見解のようです。実際に中教審では2000年代後半からの「大学教育の質的転換」という大それた言葉で、教育のPDCAサイクルをまわせ、とか、世界に通用する人材輩出を、といった答申が発信されています。
出典:文部科学省
学生にとってはどうでもいい制度です。自分のやりたい勉強をすることが大学の意義ですので。卒業できればいい、と考えている学生がほとんどですし、大学はそうあるべきだと私も考えます。
国として、短期目標で「これやりました」というやってる感を出したかったのではないか、と憶測しています。大臣や官僚は出世のために成果が欲しい。教育という目に見えにくいものを、目に見える成果にしたかった。数値化したかった。海外の大学ではGPA制度がある。よし、日本でも導入しちゃおう、という短絡的な考えが働いたのではないかな、と考えています。
もたらされたメリットは何があったか。現場では特に何も感じません。成績の可視化は以前からできました。GPAが低い学生は留年率が高い、なんてデータもありますが、当たり前です。元データは「優・良・可」なんですから。可が多い学生は不可も多いです。そうしたら、留年します。わかりきっています。
GPA制度に限らず、お上からのお達しは「手間ばっかり増やして」というものが散見されます。大学は従わなければいい、という考えもありますが、従わないと補助金算定に影響します。しぶしぶ導入しているところも多いです。一事が万事。
結果として、肥大化した組織や制度が、大学の本文である「教育・研究・社会貢献」の達成を邪魔しているという事態が起こりつつあります。「お上のいう事に従っていれば大丈夫」と安住している大学職員もいますし、自戒も必要とは思いますが、改善は常に必要な業界だな、と感じます。
早稲田大学の広告研究会サークルが調査したところでは、GPAと入学形態に相関がないことが示されているようですね。論文データというわけではないですが、一考の価値アリと思います。
http://waseda-ad.com/wasead/campus_life/gpa/
自分の勤める大学を直視して、目の前のことをひとつひとつ改善していくことが、良い大学を作る近道であると思い、私も働こうと思います。
まとめ
・GPAは成績の数値化したもの
・指導や留学など、評価指標として使われている
・「優・良・可」の指標を流用している。存在意義は疑問符。使いこなせるかどうかは各大学次第だが、既存の指標で十分だと思われる
・各大学が自発的に経営を改善していくことが、結局のところ重要である