こんにちは、きっかわです。今回は事務職員が陥りがちな視野狭窄と、その解決方法について紹介します。
卒業判定、進級判定の時期ですね。私は最上級学年を担当しているので、先日卒業判定の業務を終えたところです。私の担当がどこの学部か、同業者ならバレてしまいそうですが、まあいいか。
形は異なれど、どの大学でも卒業判定のための試験をやっていると思います。例年、事前に合格となる得点率を定めているものの、その定めの通り事務処理をしてしまうと、多くの卒業延期生を出してしまうことになります。
あらかじめ述べておきますと、卒業判定はとてもセンシティブなものなので、教授会で審議されること、かつ公平を期すために学生の名前を公開しないで審議することになっています。概ねどこの大学でも、そうしているのではないでしょうか。
毎年揉めるのですが、今年は新型コロナの影響が出たため、さらに揉めました。「例年と比べて学生は満足な教育を受ける環境を整えにくかっただろうから、点数が悪くても卒業を認めるべきだ」と雑談レベルで私に発言する教員もいました。「自分はコロナを理由に学生へ適切な教育を行いませんでした」って言っちゃってるけど大丈夫かな、とは思いましたが、笑顔を維持しておきました。教壇に立つ苦労を私は知らないので、ご事情はあると思います。深くは聞きませんが…。
本学の卒業判定については当然ながら議事録に残し、公平かつ誠実な審議の末、卒業判定を学生に発表しました。大きなトラブルもなく、事務としては一安心しているところです。
さて、冒頭に記載した「視野狭窄」についてですが、事務職員の仕事は滞りなく毎日を終わらせることにあります。滞りが起こるタイミングは、教務において合格の当落線上にある学生の取り扱いをどうするか、という点です。ここについて、教務はいくつかのパターンを考えておき、教員が審議する資料を準備する必要があります。
教務は個別の科目の点数を決める裁量はないものの、すべての科目の情報が集まる部署です。不合格科目数で留年が決まる大学が多く、教員の中でも学部長などの幹部は留年する学生の数をとても気にします。もちろん事務も気にします。第三者評価に影響するためです。留年や卒業延期が多いと、「適切な教育を施していない大学」と認定されてしまうからです。第三者機関には、私学事業団や大学基準協会、各学部教育評価機構、日本学術振興会、文部科学省などがあります。
簡単に単位をあげるわけにはいかない、でも難しすぎても「適切な教育ではない」と言われる。難儀な商売です。再試験、再再試験、追加レポートを課す、などして、学生の学修到達度を上げようと先生方は頑張ってくれています。
事務は先生方の頑張りに応えるべく、進級判定の資料を作ります。ですので、どうしても神経を「合格ギリギリの学生」に集中してしまうことになります。この枠は15%くらいいます。
一方で手をかけなくても合格点を取れる出来の良い学生はもちろんいます。というか、40%の学生は出来が良いです。
本来であれば40%の学生に注力した方が教育効果は高まるのに、15%の学生を相手にしなければならないジレンマが生まれます。
これだけならまだしも、思考回路が「合格ギリギリの学生に合わせるための施策」という打ち手を生み出してしまう循環に陥ってしまうことがあります。「成績上位の学生は放っておいても勉強するから」ということなのですが、上位学生からしてみれば「我々は頑張っているのに手厚い勉強ができるのは我々より順位が低い人たちばかり。同じ学費を払っているのに損だ」という思いが生まれます。
基本的に出来がよい学生は、うまく行っているので物申すことは少ないです。そういう意味では「何も起こらない毎日を維持する」事務の対応として間違ってはいないのですが、教育効果が高い施策をどんどん打ち出したい自分としては、もどかしい気持ちになります。
なので解決策は今の所ないのですが、意識を「事務は合格ギリギリの学生をサポートするだけが仕事じゃない」と持つだけで、「どう働くべきか」が見えてくるのではないかなと思います。
せっかく毎日働くのなら、学生全員にとって有益なことを考える時間を増やす働き方をしていきましょう。
それでは今日はこの辺で。